亀田メディカルセンターでの初期研修の歴史

亀田メディカルセンターでの初期研修の歴史

亀田メディカルセンターの歴史は古く、寛永の時代より現在の地で医療を行ってきました。江戸時代末期、六代目亀田自證は、順天堂の佐藤泰然先生と共に長崎の鳴滝塾へ出向き、シーボルトの教えを受けたという歴史が残っています。亀田自證は、鴨川に戻った後、医師として臨床に励んだだけでなく、診療所の隣に鉄蕉館という学問所を開設し、地域全域から子弟を集め、教育活動にも尽力しました。

それ以来、当院の歴史は臨床と教育の2本柱から成り立っています。医師教育においては、市中病院としては極めて早期の1986年に、厚生省より医師卒後臨床研修病院の指定を受けました。大学の医局制度によるストレート研修が主体であった当時、当院のような民間の市中総合病院での研修は稀でした。私たちは少しでも質の高い医師臨床研修システムを構築しようと、多くのスタッフや研修医と共に、プログラムの改善に取り組み、1992年より米国人の教育担当専任医師を招聘、スーパーローテート方式の研修プログラムを行ってきました。

スーパーローテート研修開始から10年目の2002年には、Targeted、Tailored、Translational、Transdisciplinary (2009年にTeam-basedに変更)からなる、新たなコンセプト「Four T's 」を掲げ、それぞれの研修医の将来目標にとって、より有益な初期研修カリキュラムを、研修医一人一人と相談しながら作り上げる取組みを行っております。その結果、最近では毎年多くの医学生より、研修希望を頂くことが出来るようになってきました。

2010年度の臨床研修制度変更に際し、私たちは改めて考えました。初期研修は誰のために、何のためにあるのか、私たちが育成を目指す医師像はどのようなものか。院内外から幅広く意見を集め議論し、「骨太の医師」という当院初期研修の共通目標を設定しました。そして、共通目標達成のために、研修プログラムの改訂を行いました。さらに、2011年度からは定員4名の地域ジェネラリストプログラムを新設し、地域医療の現場で、将来の地域医療を担う医師の育成を行っています。

亀田メディカルセンターでは、寛永の時代から現在まで、そしてこれからも、常に新しい取組みへのチャレンジが続いています。2012年、当院は初期研修スーパーローテ-トプログラム開始から20年を迎えました。研修医を病院の宝として全スタッフで教え育てる、長年培われた教育文化のもと、私たちと一緒に骨太の医師を目指し、チャレンジする皆さんの応募を、お待ちしています。

卒後研修センターのSNS
  • Facebook