専攻医も残るモノとしての視点

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初期研修医37期生
内科専攻医
依田 恵

Q1.なぜ卒後臨床研修先を亀田にしたのですか。

A.直感です。

何の答えにもなってはいないではないかということで、少し詳しく記載させてください。

直感とは、もう少し具体的にいうと、話している自分を自分らしいと思えたことです。学生時代、課外活動の採用面接で、自分を大きく見せすぎてしまい本物の自分とのギャップに後々苦しみ、うまく振る舞えなくなってしまったことが何度かありました。そのため、就職活動の時には、自分を大きくアピールする癖があることを自覚し、よく自分を見つめ直し、ありのままの自分を伝えるように努めようと意識し、書類作成や面接に臨みました。背伸びした自分を評価していただいても、どこかで自分に限界が来てしまうためです。その上で採用してくれた病院でのびのび働いてみたい、と考えておりました。就職することへの強い不安感があった自分にとって、それが唯一の自分を守る手段だったのだと思います。しかし、現実的にはそううまくもいかず、実習や見学をさせていただいているとどうしても自分を取り繕ったり、忖度したり、自分の発言があまり自分らしくないなともどかしい思いで帰路につくことは日常茶飯事でした。「生意気だ」「まだ働いてないからそんなこと言えるんだよ」など、人生の先輩に暗に無理だと言われたら、いくら活気良好な私でも意気消沈しますし、不安にもなります。そんな中、当院の見学時には、医局で上級医の先生に「君は何がしたいの?」等質問にただありのままに自分の考えを答えられたり、それに対して研修医の先生方からもっとこうしたらいいかも!などアドバイスまでいただいたりしました。生意気な学生の発言を、肯定的に受け止めるだけではなく、建設的なディスカッションにまで持ち込んでくださるその器の大きさに感動しました。そんな時間を過ごさせていただいた結果、ここなら自分でストレスなく働けそう!と思うに至ったわけです。いわゆる医師としては「とっぴな」「道を外れた」選択と言われるキャリアプランを否定される環境ではない、そんな心理的安全性を見学の時に感じられたことは私にとってはラッキーでした。就職してから、1年半が経つ現在でも、その直感は間違っていないと振り返りますし、むしろ想像以上に自由にやらせていただける環境で、非常に感謝しております。

では、なぜ当院でそう感じたのか。それを分析すると要素が複数絡んでいそうで、あまり一般化できないとも思います。ただ一つには、この病院で働く方のキャリアの自由度が比較的高く、それゆえに懐も深く、発想も柔軟になりやすいということがあると思います。これは、長年色んなバックグラウンドの人が出入りしてきた環境だからかもしれないですし、コメディカルも含め勉強してスキルアップしようとする熱心な若手が多いからかもしれないです。都会だと近くに研修病院があり、人の交流は病院をまたぐことの方が多いのかもしれません。しかし、鴨川市は良くも悪くも隔絶された環境で、そこに位置する病院へ理由があってわざわざやってきた人が多く働き、ゆえに亀田病院独自の風土が脈々と受け継がれているのではないかと考えております。若手が多いことから人の出入りも多く、変化を厭わない柔軟性も同時にある、それが1年ちょっといた自分ができる範囲での当院の様子の分析です。

亀田の若手は「生意気」なのかもしれないですが、「活きのいい」若手がいっぱいいるとも言えます。それは若手を下っ端として蔑ろにするのではなく、同時に大きな可能性に満ちていて育てていかなければいけない存在として大事にしてくれる、教育熱心な風土で、若手が意見を言いやすいからではないかと考えております。

ちなみにもう一つ私が外せなかったのは睡眠時間です。とある有名病院に見学へ伺った際、研修医の先生がほとんど寝ずに働かれている様子を目の当たりにしました。見学の1日なら遅寝早起きを頑張れるけど、2年間は走りきれないかもしれないと感じました。それ以来、見学に行く度、必ず研修医の先生に平均睡眠時間を聞くようにしていたのですが、当院では「平均したら6時間」という答えが返ってきました。これは決め手ではないのですが、個人的に重要だった除外基準には引っ掛からなかったというエピソードです。

Q2.なぜ専攻医で総合内科という科を選んだのですか。

A.研修をする中で徐々に固まりました。

その過程は以下です。

  • ”主治医”になるのが怖かった学生時代
  • プロ意識の高い上級医たちからの薫陶
  • 臓器横断的な学びに対する意欲関心の高まり

1)”主治医”になるのが怖かった学生時代

学生の時、臨床実習をする中で、自分は医者に向いていないのではないか、とふと不安に思うことが何度かあり、それ故に進路に悩むことがありました。具体的なエピソードはここでは割愛しますが、人様の死に向き合い続ける仕事の尊さ以上に、責任の重さ、理想と現実の解離を強く感じることが幾度となくあったからです。そのため、3月31日に最後の学割切符を使ってJR外房線に乗り安房鴨川駅に向かっている時、明日から研修医になるのか、ととても憂鬱でした。

2)プロ意識の高い上級医たちからの薫陶

しかし、4月にローテーションが始まると、その考えが180度変わりました。そんなに突然変わると言うと嘘のようですが、約1ヶ月の時間をかけて徐々に気持ちが変わっていきました。一番大きかったのは、人の血が通った思いの元に診療されている上級医たちの存在でした。1年目の4月には腫瘍内科をローテーションさせていただきましたが、「症例」を慌ただしくチェックする病棟回診が機械的に感じてしまい苦手だった私にとって、忙しい中でも患者さんと極力会話し丁寧に接する様子に触れることができたことは貴重な経験でした。その結果、「これが医者の仕事に対する姿勢なら、自分の思っていた医師像はそれ程間違っていなかったかもしれないのでやってみたいかもしれない」と思うに至りました。これが、結果的には興味はあるけど、直接患者様と深く関わる仕事は自分は向いていないと思っていた内科でもやっていけるかもしれないと感じたきっかけでした。

これを皮切りに、臓器別の内科から総合内科まで多様な科で研修させていただく中で「プロ意識の高い若手上級医」につかせていただく機会に恵まれました。屋根瓦式の教育体制となっている科が多い当院において、業務の大半を専攻医から若手指導医の先生方に教えていただくのですが、優秀な先輩との時間を過ごす中で受ける刺激はとても大きく、知らぬ間に背中を追っているというようなことが幾度となくありました。ベッドサイドでの医学的知識の伝授から、仕事に対する考え方、患者様への向き合い方から他愛のない話まで、身近な存在で、自然と背中を追ってしまうような人たちに囲まれていることは、モチベーションが途切れない理由なのだと思っています。そしてそれにより、気づけば自分が内科医になっている将来のイメージがつきやすくなっていました。

ちなみに、研修医として就職後、身内との死別という個人的なイベントがあったのですが、当時のローテ科での先生方や研修医の同期が、快く業務を代わってくれたり、声をかけてくれたりしたときには、大変感動を覚えたことを今でも覚えております。死に向き合う姿勢に触れ、改めて本当に素敵な人たちに囲まれているのだなあと感謝の気持ちを抱いたことをよく覚えております。

3)臓器横断的な学びに対する意欲関心の高まり

同時に、館山地域にある亀田ファミリークリニックの家庭医専門医の先生方の元での研修や、子どものジェネラリストとして南房総地域の二次救急を担う小児科での研修を通し、異なるステージに立つジェネラリストの先生方のモノの見方や考え方に共鳴し、まずは何か特定の臓器を切り口に内科医になるのではなく、ジェネラルな視点をもった研修をしてみたい、と思い、迷った末に総合内科を選択しました。「患者様を包括的にみることができるような医者になりたい」という思いと「まだまだ内科の勉強が足りないという空腹感」、この2つが自分の進路選択の中で最後まで残った大きな軸でした。それ故に、最終的に内科専攻医だけれど、サブスペシャリティの臓器専門医のコースではない、総合内科コースを選択しました。

今、私が内科専門医をとるであろう3年後、やってみたいことは大きく3つ。

  • 臓器別の専門家としての道へ進む
  • 総合内科でも特により重篤な疾患をみる集中治療の現場で研修をする
  • 厚生労働省など行政機関へ転身する

いわゆる、キャリアの創成期は一度きり、と考えているので、この3つを全てつまみ食いするのは今の自分のイメージにはないのですが、どれか1つ、やってみたいなと考えております。そのどれにでも、総合内科で3年間過ごすことが無駄にならないだろうな、と思うと、どうやら自分が興味があることは似通っており、それぞれが何らかのピースになるのだろうと思います。そして、私が面白そう!と直感で思うことと、いわゆる王道と言われる日本の医師のキャリアがいつも一致するとは限らず、そんな野望を好き勝手に抱き続けられるのも、当院で最初の2年を過ごしたからなのだろうと考えております。

Q3.なぜ総合内科の専攻医プログラムで亀田を選んだのですか。

A.以下の3つの利点がありました。

1)慣れ親しんだ環境

環境が変化することは成長のチャンスでもあり、大きなストレスを抱えるリスクでもあります。成長のためにはいつかは環境を変えたいと思うものの、立場が大きく変わるストレスが確実にある専攻医になるタイミングで環境までは変えたくない、と言うのが率直な自身の希望でした。他院見学もした上で、最終的には環境が変わらないことに価値を感じ、残ることにしました。特に他科とのやりとりも多く、学ばせていただく立場である総合内科に進む自分にとって、ローテーションさせていただいたことがある科が多いのは、次なる学びの種にもなりやすいと考えました。

2)土地柄、中長期的なかかりつけの方も多い

自分が拝見した患者さまがしばらくした時にどのような経過を辿っているのか、これを追い続けることができるのは、若手にとって、大変有意義であると考えます。残るからには、経時的な振り返りを継続したいと考えております。

3)自分の意見を言いやすい雰囲気

質問することに怖さがない環境で、それはとても心地よいです。もちろん、自分で考えて話すこと、調べることは前提として必要です。しかし、研修医のうちにはわからないことに溺れる毎日で、とりあえず尋ねた方がいい局面も少なくありません。多忙を極める各科の上級医に話しかけることは、勇気が入りますが、亀田の上級医の先生方は、学ぶ立場のものに対しても贅沢に時間を割いてくださる、その教育に対する度量の大きさが私にとってはとてもありがたいものでした。

また、完璧な組織などはないので、働く中で不満に思うことや、疑問に思うことは発生すると思います。そのような時、ただ愚痴を言って終わるのでは、良くなるものも良くならないし、なにより自分のストレスになります。しかし、亀田は若手も積極的に意見を言えるような風土があり、その機会を掴みにいく若手も多いです。比較的型が決まった医療業界の中でも、能動的でクリエイティブな姿勢を忘れない労働者でありたいと思う自分にとって、居心地は良いと感じております。

4)欠点:研究の割合は低い

いわゆる医師の仕事の3本柱に、臨床、研究、教育というものがあります。専攻医開始と同時に大学院へ入学し、研究活動をはじめる方も一定数いらっしゃります。しかし、少なくとも当院の総合内科プログラムでは臨床のウェイトは大きく、加えて研修医への教育の時間も一定費やす必要があります。少なくとも自分は、最終判断を伴う当直や病棟、外来業務が始まる中での、3年目にて研究に従事できるようなビジョンを描くことは現時点ではできません。もちろん若手でオンラインで大学院に通われたり、専攻医を終えた後に大学院へ入る方もいらっしゃります。また、国内でもカルテの電子化が早くから始まった当院の強みを活かし、膨大なデータに基づいた臨場研究を精力的に進められるリソースもあります。ただ、それを十二分に活用できる十分なシステムが整っている訳でもないと考えます。これは科ごとに事情が異なると思いますので、3本の柱の両立についてご興味がある方は、ぜひ興味がある科を見学してみてください。

言葉で表現するのが難しい感想もありますので、ご見学にいらしゃった際には、ぜひ一緒にお話ししましょう!

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