職場について歴史

亀田家の歴史は古く、寛永の末頃(江戸時代)より医療を営み、享保年間に現在地のに移ったとされている。代々医療を営み、当時は、漢方医、蘭方医の時代であったが、明治の末期には、亀田俊正、亀田俊雄により西洋医学による現代的病院としての基盤が築かれ、その伝統は、脈々と今日まで受け継がれている。

昭和23年1月、戦後の医療情勢に対応するため、当時の当主であった亀田俊雄は、現在地に「有限会社亀田病院」を設立し、地域医療に尽力した。その後、医療の休息な進歩に対応するため、昭和29年3月「医療法人鉄蕉会」に改組し、科学的かつ適正な医療の普及を目指した。

医療を取り巻く社会情勢の変化が急速に進み、新たに代表社員として亀田俊孝をすえ、近代的な総合医療の必要を認め、現在の「亀田総合病院」本館を完成させた。

この施設の整備と並行し、診療内容の充実向上を図り、人材を集め、昭和39年6月から本格的に総合病院として運営を開始し、千葉県南部における唯一の総合病院として地域医療を支えてきた。

昭和60年3月1日には、千葉県の第三次救急医療体制に於ける救命救急センターとして指定を受け、地域の救急体制の核としての役割を果たすこととなった。また、昭和61年には臨床研修指定病院としての指定も受け、重要な責任を担っている。

この間、国内のみならず国外からも高い評価を受け、昭和59年以降在日米国軍の後方医療施設としての役割と、昭和60年からは、中国天津医院と友好病院の締結による中国医師の研修病院としての役割を担っている。これに伴い、昭和63年3月には、厚生省より外国人医師の臨床修練指定病院に指定された。

医療の展開として、千葉県が進めている幕張新都心構想の中核ビルである幕張テクノガーデン内に「医療法人鉄蕉会亀田総合病院附属幕張クリニック」を平成2年10月に開設、更に同一副都心にあるホテルフランクス内に「医療法人鉄蕉会フランクスクリニック」を平成3年10月に開設し、幕張地域の医療、健康管理の一役を担ってきている。

さらに、各方面の関係者から協力依頼があった神奈川県厚木市の病院を平成6年3月に「医療法人鉄蕉会森の里病院」として移管開設をし、監督官庁が千葉県より、厚生省(現厚生労働省)に移行した。

この間平成6年2月には、亀田総合病院は長年の取り組み課題であった高度先進医療(胸腔鏡手術)の承認を受け、全国に極めて希である特定承認保険医療機関に指定され、名実ともに高度な医療が提供できる病院として位置づけられた。

平成時代に入ってからも、亀田総合病院は医療の発展に貢献し続けており、幕張新都心構想の中核ビルである幕張テクノガーデン内に「亀田総合病院附属幕張クリニック」を開設し、地域医療に貢献してる。

亀田総合病院と亀田クリニックを総称して亀田メディカルセンターとして位置づけ、医療の質の向上に努め、平成11年には日本医療機能評価機構より「一般病院B施設」としての認定を受け、さらに平成12年にはISO9001の認証を取得し、医療の内容にも踏み込んだ品質管理を実現。また、平成21年には国際的な医療品質基準であるJCI認証も取得。

亀田メディカルセンターは、「我々は全ての人々の幸福に貢献するために愛の心をもって常に最高水準の医療を提供し続けることを使命とする」という品質方針のもと、全職員が努力をし続け、今後も高度な医療技術の提供や地域医療への貢献を通じて、社会に貢献していくことを目指している。